“ゼンタイを着る”という行為
まずゼンタイは2つの楽しみ方に分けられると思います。
- 着る
- 見る
まあ、当たり前ですよね。
今回はゼンタイを着るということに着目していきます。
ゼンタイを着るときの心の動きもフェティシズムの一つだと考えてみます。
ゼンタイをすでに着たことがある方は初めて着た時を思い出してみてください。あの気持ちよさそうなゼンタイが目の前にあるという瞬間。
私はゼンタイに憧れてから初めてゼンタイを手にするまで6年以上もかかりました。
そもそも、ゼンタイが気持ちよさそうだと感じるということにフェティシズム的なセンスがあるわけなんです。それを前提として話をすすめていきます。
基本的にゼンタイは、
- 足を入れる
- 足を股まで通す
- 体を入れる
- 手を通す
- 頭を入れる
- チャックを締める
この行程を経て着ることができます。
ゼンタイフェチじゃない方も想像してみてください。この肌触り以外の気持ちよさを。
ヒョウになりきれなかったニンゲン
今回はゼンタイについての特集です。
※フェティシズム研究所では、その魅力についてできるだけ細かく、むしろ細かすぎて伝わらない程度までお伝えしていくのがモットーです。
画像は引用元を明記しますが、不都合であれば当ブログまで連絡をください。
ゼンタイにはいろいろな属性がありますが、まずは見た目の属性についてお伝えしましょう。
ゼンタイは単色、柄物、アニマル柄など色々な種類のものがあり、オリジナルで作っていらっしゃる方々もいます。
単色というだけで色々あり、どのような色であるかによってフェチ的な意味合いが全く変わってしまうのです。
例えば、白ゼンタイと黒ゼンタイ
白ゼンタイは、紙、彫刻のように静止のイメージをもたらします。
黒ゼンタイは、影や暑苦しさのようなイメージをもたらします。
このように、色だけでも与える印象はまったく違います。
今回はヒョウ柄ゼンタイについてご紹介します。
タイトルのとおり、ヒョウ柄ゼンタイは、ヒョウになれなかったニンゲンなのです。
これをみて完全な人間だと思う人はいないでしょう。それほど人間らしくない柄を体中に身にまとい、造形はどこか人間らしさを残す。
この中に入っている人間はヒョウになりたくて仕方がない、それでもなりきれないそういったフェティシズムへの欲求を見る人に漏らし続けているのです。
ゼンタイは顔をなくしてくれます。
我々が人間と判断する大きな要因の一つが顔です。
そんな顔をなくすことで、身にまとっているイメージを体全体にまとうことができるのです。
できることなら飼ってみたいと思いませんか?このゼンタイたち。
もう彼らにヒョウのゼンタイとして居続けてもらいたい。見ている側も着ている側も野生的な本能をくすぐられます。
このままヒョウになりたい。
たとえ、ゼンタイというかたちでもいいから・・・。
引用元:
はじめまして。
フェティッシュ研究所所長のピエニンです。
まずは自己紹介からしますね。
フェチの世界に入ったきっかけは、小学校の頃に見た欽ちゃんの仮装大賞です。
クモのフィギュアスケート
https://youtu.be/smc1jVZThQQ?t=3m29s
これが僕の心を掴んでしまったんですね・・。
それからというもの、女性のストッキングに目がいくようになってしまいました。
仮装大賞を見るたびに、人間以外のものになりきるということに並々ならぬ興味をいだいてしまいました。
当時はインターネットが普及し始めていたのでよく「着ぐるみ」と調べたりしていました。当時は着ぐるみといえば普通にキャラクターものばかりでしたが、今では美少女着ぐるみも普及していますよね。
美少女着ぐるみは肌タイツを着用しているため、この事実が私の胸を突き刺しました。
美少女着ぐるみ関連でゼンタイに出会い、バキュームベッド、ボディーホースなどを知るようになっていきます。
こんなアブノーマルな趣味も中学生になってしまうと忘れてしまうものなんですね。
なぜなら自分とは程遠い存在だからです。
中学生のときは、ニーハイソックスやタイツなど、女性の足に着けるものにひたすら興味をいだいていました。これも仮装大賞の影響なのでしょうか。
そして、ゼンタイが買えるようになってからというもの安物のゼンタイを買っては着てみたりしていました。
ゼンタイ関連で交流をしてみると他にもメッシーなどのいろいろなフェチがあることを知ります。
この時点から、私はどんなフェチも受け入れられるような気がしてならないのです。
僕は、フェチは「性の芸術」だと思います。
人間の複雑な欲求を単純な形で具現化したもの、それがフェティシズム。
これから、フェティシズムの世界へお連れいたしましょう。
ボディーホースとゼンタイ。